覚園寺

覚園寺について

「別天地(べってんち)」 覚園寺(かくおんじ)
一二一八年、北条義時公の薬師如来信仰により建てられた大倉薬師堂が、覚園寺のはじまりです。
一二九六年、北条貞時公が、元寇の再来がないように願い、智海心慧律師を開山として、真言・天台・禅・浄土の四宗を学べる道場、覚園寺といたしました。

本堂薬師堂を中心とする堂宇、数多くの仏像、古趣あふれる自然環境が一体となった、中世鎌倉の祈りをささげる空間、「鎌倉らしさ」を是非、感じてください。

 一、拝観順路に従ってご参拝ください。
 二、拝観受付所から先は、写真・動画撮影禁止です。

覚園寺について

1218年、北条義時公の薬師如来信仰により建てられた大倉薬師堂が、覚園寺のはじまりです。1296年、北条貞時公が、元寇の再来がないように願い、智海心慧律師を開山として、それまでの薬師堂を真言宗だけでなく、真言・天台・ 禅・浄土の四宗を学べる道場、覚園寺といたしました。
本堂薬師堂を中心とする堂宇、数多くの仏像、古趣あふれる自然環境が一体となった、中世鎌倉の祈りをささげる空間、「鎌倉らしさ」を是非、感じてください。


  • ○拝観順路に従ってご参拝ください。
  • ○コロナ禍以前の覚園寺拝観案内はしばらくお休みします。
  • ○拝観受付所から先は、写真撮影禁止です。

<本堂 薬師堂> 撮影:十文字 美信

<本堂 天井画> 撮影:十文字 美信

時代を超え信仰を集め、
まもられてきた覚園寺のさま


元気で、心身ともに健全でありつづける、
病になってしまったらそれをのりこえる
癒しの力を与える


私達の欲望、煩悩そのすべてをうけいれ、
より良く生きる力としてくださる


錆びたり、ごつごつし綺麗でなくとも、
ただ鉄のもつ強さに美しさをもとめ、
造られまつられた鎌倉武士好みならではの仏像


の蔵と書き、大地のめぐみ、万物を育む力を
巡り歩き、わけあたえてくださる


霊験あらたかな黒地蔵尊に願いを託し、
その分身を借りうけ、願いが叶うと
借りた一体に、おわけの気持ちを込め
自分でもう一体つくり、二体にして返され、
増えてきた


作家 川端康成さんのもとらえた、
ふくよかでやさしい顔立ちの


時代を超え信仰を集め、
まもられてきた覚園寺のさま


元気で、心身ともに健全でありつづける、
病になってしまったらそれをのりこえる
癒しの力を与える

本尊薬師三尊坐像
十二神将

私達の欲望、煩悩そのすべてをうけいれ、
より良く生きる力としてくださる

愛染明王

錆びたり、ごつごつし綺麗でなくとも、
ただ鉄のもつ強さに美しさをもとめ、
造られまつられた鎌倉武士好みならではの仏像

鉄不動尊

の蔵と書き、大地のめぐみ、万物を育む力を
巡り歩き、わけあたえてくださる

黒地蔵尊

霊験あらたかな黒地蔵尊に願いを託し、
その分身を借りうけ、願いが叶うと
借りた一体に、おわけの気持ちを込め
自分でもう一体つくり、二体にして返され、
増えてきた

千躰地蔵尊

作家 川端康成さんのもとらえた、
ふくよかでやさしい顔立ちの

鞘阿弥陀仏

覚園寺について

1. 愛染堂(あいぜんどう)
元は覚園寺の近くにあった大楽寺(だいらくじ)のお堂です。廃仏毀釈で大楽寺は存続できなくなり、覚園寺に移築されました。赤く腕が6本ある仏様が、愛染明王です。 仏教ではギリシャ神話と同様にいろんな利益や役割をもった仏が存在します。愛染明王は、「幸せになるためにおそれや不安を打ち消し、ひたすら前にすすむ力」 「情熱」をつかさどる仏様です。


2. 地蔵堂(じぞうどう) 仏様のなかで大地のちからを宿す仏さまが地蔵菩薩です。田畑に恵みを与えると信仰され愛された仏様です。 大地の力は、「いのち」をはぐくむ力とも解釈され、子どもを育て護る仏様とも信仰され、幼子を護るための魔よけ(神社の鳥居や昔の橋が朱色なのと同じ理由で)の朱色の帽子と前掛けをつけるようになりました。

3. やぐら 鎌倉は山が多く平地が少ないことから、鎌倉の武士や有力者のお墓は、人を雇い山の斜面に 穴を掘らせそこに埋葬されるようになります。山の中には、177穴が確認されています。お堂の脇のやぐらは、儀式や修業のためのものと推測されています。


4. 内海家(うつみけ) 1706年に鎌倉でつくられ鎌倉の方(内海家)がくらしていた農家です。1981年に一度 解体され覚園寺境内に移築されました。毎日昔の日本人は、この明るさのなかでよく暮らしていたなと感心するぐらい家のなかは暗いです。その分屋外はより明るく感じられ、昔の方は、このような家でくらしながら、お日様のありがたさや自然の景色のすばらしさを毎日感じていたと思います。


5. 本堂 薬師堂(やくしどう) 覚園寺の中心となるお堂です。覚園寺は1218年に開かれましたが当時のお堂は焼失し、 現在のお堂は、1354年に再建された建物が元になり、以来なんども修繕が重ねられてきています。中央にまつられている仏様が、本尊 薬師如来、心身ともに元気でありつづける、もし怪我や病気になったらそれとともに前にすすむ力をあたえる仏様です。 元気であり続ける力は、昼夜を問わず一日中必要であることから薬師如来の両側、右に日光菩薩(日の光)、左に月光菩薩(月の光)がまつられています。さらにその外には、中央の薬師 三尊を守護し、参拝者を勇気づける十二神将像がまつられています。十二神将は私たちの干支の象徴でもあります。神将の頭頂部に干支の動物がつけられています。

1. 愛染堂(あいぜんどう)
元は覚園寺の近くにあった大楽寺(だいらくじ)のお堂です。廃仏毀釈で大楽寺は存続できなくなり、覚園寺に移築されました。赤く腕が6本ある仏様が、愛染明王です。 仏教ではギリシャ神話と同様にいろんな利益や役割をもった仏が存在します。愛染明王は、「幸せになるためにおそれや不安を打ち消し、ひたすら前にすすむ力」 「情熱」をつかさどる仏様です。


2. 地蔵堂(じぞうどう) 仏様のなかで大地のちからを宿す仏さまが地蔵菩薩です。田畑に恵みを与えると信仰され愛された仏様です。 大地の力は、「いのち」をはぐくむ力とも解釈され、子どもを育て護る仏様とも信仰され、幼子を護るための魔よけ(神社の鳥居や昔の橋が朱色なのと同じ理由で)の朱色の帽子と前掛けをつけるようになりました。

3. やぐら 鎌倉は山が多く平地が少ないことから、鎌倉の武士や有力者のお墓は、人を雇い山の斜面に 穴を掘らせそこに埋葬されるようになります。山の中には、177穴が確認されています。お堂の脇のやぐらは、儀式や修業のためのものと推測されています。


4. 内海家(うつみけ) 1706年に鎌倉でつくられ鎌倉の方(内海家)がくらしていた農家です。1981年に一度 解体され覚園寺境内に移築されました。毎日昔の日本人は、この明るさのなかでよく暮らしていたなと感心するぐらい家のなかは暗いです。その分屋外はより明るく感じられ、昔の方は、このような家でくらしながら、お日様のありがたさや自然の景色のすばらしさを毎日感じていたと思います。


5. 本堂 薬師堂(やくしどう) 覚園寺の中心となるお堂です。覚園寺は1218年に開かれましたが当時のお堂は焼失し、 現在のお堂は、1354年に再建された建物が元になり、以来なんども修繕が重ねられてきています。中央にまつられている仏様が、本尊 薬師如来、心身ともに元気でありつづける、もし怪我や病気になったらそれとともに前にすすむ力をあたえる仏様です。 元気であり続ける力は、昼夜を問わず一日中必要であることから薬師如来の両側、右に日光菩薩(日の光)、左に月光菩薩(月の光)がまつられています。さらにその外には、中央の薬師 三尊を守護し、参拝者を勇気づける十二神将像がまつられています。十二神将は私たちの干支の象徴でもあります。神将の頭頂部に干支の動物がつけられています。